朝鮮大12―61専修大
9月15日、試合会場である朝大に自転車を走らせながら、いつの間にか「なごり雪」の一節を口づさんでいる自分に気がついた。「去年よりずっと」だけを繰り返していたのだ。
「ずっと」の後は歌わなかった。正確には、頭の中で「きれいになった」と続けそうになるのを、胸の中で「強くなった」「いい準備が出来た」と置き換えてみたり、「楽しみだ」という率直な個人的感想でいいのかなと思ったりしていたのだと思う。「いい準備が出来た」という監督の言葉と、「去年までとは仕上がりが全く違う」という共同主将の一人キムチソンの言葉が深く刻まれていたのと、元来「勝敗」に拘わらず観ていて楽しかった朝大ラグビー部が、部員減少と負傷者増大による棄権を複数回経て、「胸が痛む」存在になっていたのが、必然の理由なのだろう。
昨季1位と同一勝ち点2位(リーグ戦1部優勝5回、大学選手権ベスト4進出3回を誇る)の強豪を相手に、「いい準備」が雄弁に実証され、「楽しみ」が復活した序盤、そして前半だった。厳しく繰り返してきた練習通りのディフェンスから敵陣に攻め入り、パスを繋ぎに繋いで八分にSHキムドンフィ(1年・大阪朝高)が中央にトライ!SОキムスジン(4年・大阪朝高)のキックも決まり7点をリードします。
さらに10分間、オヒョンギ監督・シンヨンサコーチのプラン通りにゲームが進むが、「まず17-0にしたかった」と監督が悔やむ追加点のチャンスを逃し、勝負事の鉄則通りチャンスを逃せば流れは相手に傾き、さらに地力で上回る相手の修正に拍車がかかる、という展開に。点差ほどの力の差を感じなかった、と言っては負け惜しみにしか聞こえないだろうか。スクラムを押されプレッシャーをかけられるにつれ、目に見えて焦りが出始め、「やってきたこと」「守らなければいけないこと」から徐々に冷静さが削がれていく。タッチキックが出なかったり、マイラインアウトを取れなかったりと「こんなはずでは」のミスが連発され、このレベルの相手はそれを見逃すはずはなくことごとくトライに結びつけ点差が広がる。焦りは時に「約束の戦術」より「個の力」を優先・選択させ、無理な個人突破を試みてチームを窮地に追いやることも。監督はこれについて「経験値の問題もある」と語ってくれた。実戦の少なさ、1年生の多さ(後半途中からは1年生9人がフィールドに立った)。
キムドンフィに続き1年生のキムサンジェ(東京朝高)が、大差がついた後半31分にセンターライン付近で相手のパスからこぼれたボールを拾い独走のトライを挙げたことは、「経験の少なさ」から「新戦力」への質的転換がなされる大きな象徴と読み取りたい。経験と言えば主力数人の負傷欠場が大いに痛いのだが、その中でも3人の4年生の姿に想うところが大きく、試合開始から声を張り上げ鼓舞しながらスコアをつけ撮影し「裏方」に徹するその姿は、時間が進み点差が開くにつれて私の文学的、映画的、演劇的妄想を存分に膨らませてくれた。曰く、焦り疲れ弱気になっている選手たちに、怪我で試合に出られない最終学年3人の魂が憑依し奇跡的なパワーを呼び起こす系の妄想。数多の小説やアニメ、映画で読み観た感動のシーンの再現を、現実は違うと認識しながら描いていたのだ。在学中の3年間、2年間を公式戦に出ることなく一心にチームを支え、自分が立つはずだったフィールドで躍動する同期を後輩を必死に叱咤激励する3人の想いが、魂が、「元気玉」となって朝大ラグビー部全選手に宿る、そんなイメージ。3人の気迫が、疲労困憊の身体を前へ押し、強敵を前に蠢く弱気の虫を駆逐して、「やってきたこと」を存分に実践し、自ら掲げた使命と目標を誇り高く達成するのだ!リーグ戦は始まったばかり。残る6試合で「去年よりずっと」、私の妄想が実現することを充分に期待し信じている。
最後に、三連休の中日(秋夕が休みの人は初日)に東京のみならず愛知、大阪から駆けつけてくださった同胞学父母の皆様、大声援を送ってくれた朝大生諸君、とりわけ80分間声も枯れよと歌い続け応援し続けてくれたサッカー部のトンムたち(午前中は自分たちの試合があった!)に心から感謝申し上げます。(サッカー部は、身も心も疲れ切ったラグビー部員がクールダウンしている間に、ポールまで片づけてくれました。自分たちの練習もあったのだろうが)
こんな同胞学父母、学友たちに愛され応援されるラグビー部、どこにもない。それも力の源。次戦は数日後22日の拓殖大をホームで迎え撃つ。朝大ラグビー部の新たな歴史の創造へ、あらためて大きな一歩を踏み出します!